第3号コラム〜「大震災級」のウソ |
1997年8月20日 |
1923年9月1日午前11時58分。相模湾を震源とするマグニチュード7.9の「関東地震」が発生した。 その被害の甚大さから、この地震による災害を後に「関東大震災」と呼ぶようになった。 記録上、74年経った現在でも数字の上では43,476人が行方不明である。(確認された犠牲者は99,331人)
地震のマグニチュードは0.1上がるごとに約1.4倍ずつエネルギーが大きくなると言われている。従って関東大震災のエネルギーは、阪神・淡路大震災の約10倍となる。
1995年の冬。一流大学を出たと思われる建設省の官僚さんは倒壊した阪神高速道路を見て「関東大震災の2倍の揺れ」だったので高速道路が倒壊したと言った。
そもそも、この「関東大震災級」という、パワフルな言葉は、とても恐ろしい響きがある。その一方で、極めて抽象的な言葉でもある。
関東大震災=東京壊滅が響きもある。だが東京は関東地震震源地からかなり離れているのだ。しかし、東京での最大震幅(揺れ幅)は1秒間に14〜20センチもあったといわれている。とすると震源に近い小田原市などは、東京よりも、もっと揺れが激しかったと考えられるが、記録は残っていない。
そこが数字のトリックである。阪神高速道路の倒壊部分は神戸市東灘区である。東灘区では499ガルなのだ。必ずしも2倍とは言い切れないのだ。
これ以上、詳しく書かないが、実に「大震災級」という言葉が、いかに抽象的で、いい加減かが、おわかりいただけただろう。お役所言葉の最たるものである。
阪神・淡路大震災があってからというもの、全国で「防災基本計画(地震編)」が見直された。しかし、困ったことに、そのいくつかの市町村の「基本計画」の中には「阪神・淡路大震災級」という語句が依然としてちりばめられていることにショックを受けた。全く意味のない言葉だからだ。
そもそも「震災」=地震災害という言葉は、自然災害的要因よりも、人災的要因が強い。例えば誰も住んでいない地域で、マグニチュード8クラスの地震が起き、大規模な土砂崩れや津波が起きても、死者はおろか、けが人も住宅の全半壊もなければ、この大地震は「震災」とは言わないだろう。
一応、筆者は、神戸出身の文筆業の立場として「震災後」という語句を、公私ともに、今も用いないことにしている。個人的には地球上から「阪神・淡路大震災」の仮設住宅が消滅してから「震災後」の語句を用いようと考えている。 |
関連記事〜気象庁、震度情報でチョンボ!! |
1997年8月20日 |
阪神・淡路大震災以来、震度計を全国600ヶ所に配置、きめ細かな震度情報が伝えられるようになったが、それなのに、気象庁は、その震度情報を誤って発表してしまった。 9月4日午前5時12分、鳥取県西部を震源とする地震で、境港市の震度が「2」だったにも関わらず「震度4」と発表した。 訂正があったのは、この日の夕方近く。 天気予報でチョンボをするならまだしも、震度情報は、事後情報なので総理大臣の発言よりも信憑性がなければならないが、気象庁も、とうとう「動燃」化したのだろうか。 幸い被害地震ではなかったが、もし被害が出ているのに「震度2」などと発表していたら、どう責任を取るのだろうか。 ちなみに、この地震の4分後にも鳥取県西部でM5.1の地震があったが、この地震では境港市は本当に「震度4」を記録した(ようである)。
なお、来年の予算で、地震対策関連、特に地震計、ひずみ計などの観測機器に対する予算はなくなる見通しだ。 |
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