第4号斜説〜「酒鬼薔薇聖斗事件」の教訓として「教育委員公選制」を提案する!!

1997年11月1日
 今回の斜説は、今や過去の出来事となりつつある「酒鬼薔薇聖斗事件」を取り上げたい。

 10月2日、家庭裁判所に提出された精神鑑定書では酒鬼薔薇聖斗の人格形成において「親や教師の影響は少ない」としていた。
 しかし、彼が日本を震撼させた連続殺人犯・酒鬼薔薇聖斗になるまで、彼が育った環境は少なからず影響しているのは、精神医学に無知な私たちでも推測できることである。
 また、第2の酒鬼薔薇聖斗を生み出さないためにも、そこから、私たちは教訓を学ばなければならない。

 その象徴的出来事が本誌9月6日更新分で指摘した事件である。(手前味噌だが、本紙記事発表の事実でマスコミで大騒ぎしだしたのは、本誌指摘から10日後のことであった)
 詳しくは、記事を読んでいただくとして、友が丘中学校の教諭が酒鬼薔薇聖斗の奇行を知っていながら、放置していたことは、いまや明白な事実である。
 知っていた時点で教諭の誰かが、酒鬼薔薇聖斗と話し合う時間を持っていれば、もしかすると、その後の殺人事件は未然に防げ、酒鬼薔薇聖斗も「魔物」に変質しなかったかもしれない。
 「それは結果論だ」という意見もあるが、私たちが言っているのは、問題の女児殴打事件の時点で「酒鬼薔薇聖斗」を短絡的に責めろと言っているのではない。
 教師が「このような問題があるが、心当たりはないか」「知っていることはないか」と該当の生徒と話し合う時間を持てなかったのかということである。

 教師側は「生徒の心を傷つける」として、そのような措置をとったというが、果たして友が丘中学の先生は「生徒の心」を知っていたのか、いや、それ以前に「生徒の心のことを真剣に考えていたのか」…その見識を疑う。
 少なくとも、友が丘中学では、生徒と先生の間で、何でも話し合える環境ができていなかったことが、一連の「騒動」で明らかになったのは、確かである。

 当初、地域住民らも「魔物」を育んだのは学校に責任があるのではないかと見ていたが、情報を分析せずに闇雲に責任転嫁するのも、どうかと思う。
 酒鬼薔薇聖斗逮捕後に、続出した「小動物虐待の目撃談」。この時点で目撃した住民が、その奇行を咎(とが)めていれば、地域住民にも未然に殺人事件を防ぐことができたはずである。(もちろん酒鬼薔薇聖斗の親権者にも責任がないとはいえない)
 住民に、そのことができなかった理由は、この町独特の地域社会に原因があることは、逮捕前にまとめたルポルタージュ「透明な殺人鬼」に詳しくあるので、その前半部分をお読みいただきたい。

 4年前、筆者は「いじめ問題」について、神戸市立の某小学校(今は統廃合で消滅)の校長と教頭に会う機会があった。
 そこで出てきた教頭の意見が凄かった。思わず聞く耳を疑ったのである。
「いじめっ子の家庭環境は悪いので、そのはけ口が弱い者に行くのは仕方がない。学校では対処できない」
 隣で聞いていた校長は、その教頭の発言を聞いてニヤニヤしているのである。
 つまり、学校側は、学校内で起こった問題も、家庭の問題だと考えているのである。

 すべての神戸市立の学校で働く教師が、同様の考えを持っているとは思わないが、こんな人間が教頭や校長になっていることに、恐怖を抱く。

 大震災で教師も生徒も「命の大切さ」を身をもって学んだはずなのに、日本犯罪史上まれにみる殺人者を神戸市民の中から出したことは、私たち神戸市民の恥である。
 親や地域も責められなければならないが、それ以上に神戸で「教育」に携わる全ての人間は、このことで懺悔しなければならないだろう。

 そこで、酒鬼薔薇聖斗事件の教訓として、神戸市の教育当局に対し、教育委員会公選制(正確には「準公選」)を提案したい。
 すべての神戸市民が、教員を採用する側の教育委員に、どのような顔ぶれがなっているのか知らないだろう。かく言う筆者も知らない。
 酒鬼薔薇聖斗よりわからない人物に、教育現場が牛耳られていることで、不安は感じないだろうか。
 教員になるにも、教頭、校長になるにも試験があるとはいえ、最終的な人事権は、謎の教育委員によって選ばれるのだ。
 このように不透明な教育現場だから、ことあるごとに地域住民から「学校が悪い」「教師が悪い」と言われ、教師も、それをいいことに「家庭が悪い」と責任転嫁に終始するのである。

 「教育委員準公選」はかつて、東京都中野区で行われていたが、右翼団体と結託した自民党と創価学会によって廃止させられた。
 現在、日本で「教育委員準公選」をしている自治体はない。
 しかし、教育現場で起きた問題を教師と地域、親たちが共に責任を持って解決していくには、教師を間接的に地域や親が選べるようにする制度が必要だろう。
 そして、学校、地域、親たちが三位一体となって、子供たちを育てていく環境が必要だと考える。
 準公選の場合、教育委員の選出は普通の選挙と変わらない。神戸の場合なら各区の人口比で教育委員の定数を決め、投票によって選出する。
 主婦であろうと、会社員であろうと、一般人が、ある一定期間、教育委員になれるのである。
 こうすることによって、教師の行動は市民によって間接的に支持され、あるいは責任を負うので、教師や親、地域の無責任発言や行動は規制できる。
 親も、間接的に教師を選んだことになるから「子供を学校だけに任せる」ということもなくなると思うのだが、いかがだろうか?

 しかし、市長選挙の、あの程度の投票率で喜んでいるような市民レベルでは、数千年先に予想される次の「阪神・淡路大震災」になっても、神戸市民は、同じ事を繰り返しているだろう。

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