第8号斜説〜阪神大水害から60年〜大水害30年周期説とは?

1998年7月1日
神戸は今も危険である!!
 阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震から3年と6か月が過ぎた。
 ところが、この大震災の以前から神戸で起こる大災害として指摘されていたのが「大水害」であるということをご存じだろうか。
 今月は1938年7月、神戸市街地を壊滅状態に陥れた「阪神大水害」から丁度60周年に当たる。
 神戸市街地は「震災の帯」が示すとおり、山と海の間に東西に長い市街地が広がっている。そこにきて山側である六甲山は観光開発が進み、それにあわせて砂防工事も行われているため、山崩れには「応急措置」状態の危険な山となっている。
 今、山肌には、大震災で出来た、無数の大規模な崩落跡が、市街地からも港からも眺めることが出来る。それだけ、六甲山地は危険な山なのである。
 さて、表題の「大水害30年周期説」は、1938年の「阪神大水害」と1967年の集中豪雨による大惨事の間隔から、関係者の間でまことしやかに囁かれている「説」である。
 警戒するに越したことはないが、実は、その「30年周期説」も怪しく、神戸に打撃を与えた台風被害は1週間間隔で立て続けに襲った例もある。

▼神戸を襲った水害▼
発生年月日災害名神戸市での被害雨量など
1924年9月21日室戸台風死者6人、床上浸水2547戸、床下浸水7919戸1時間最高雨量26.5mm
1938年7月3〜5日阪神大水害死者671人、行方不明24人
家屋流出1497戸、全壊2658戸
1時間最高雨量60.8mm、総雨量462mm
1939年8月1日死者2人、浸水14165戸1時間最高雨量87.7mm
1950年9月1〜3日ジェーン台風家屋全半壊1067戸、流失39戸総雨量161mm
1953年6月7日台風2号死者4人、浸水673戸
1953年9月25日台風13号家屋全半壊689戸、浸水1047戸
1961年6月24〜27日死者28日、行方不明3人、家屋全壊140戸、家屋流出11戸1時間最高雨量44.7mm
1961年9月16日第2室戸台風死者10人、家屋全半壊2555戸総雨量136.0mm
1965年9月10日台風23号家屋全半壊1765戸総雨量118.6mm
1965年9月17日台風24号家屋全半壊176戸総雨量336mm
1967年7月9日死者90人、行方不明8人、家屋全壊367戸、半壊390戸1時間最高雨量75.8mm
1997年7月13日宝塚市で死者4人六甲山での1時間最高雨量53mm

 3年前に兵庫県南部地震の直撃を受けただけに山崩れの心配が高まっている。事実、昨年は宝塚で死者が出る土砂災害が発生した。
 砂防工事も進められているが、関係者ですら「完璧とは言えない」と言うほどで、特に地震後は工事箇所が増え、追いつかない状態だという。
 例えば関東大震災後は、神奈川、山梨、静岡県境の山地で大規模な山崩れが起き、下流の村が壊滅している。
 最近では1984年9月に発生した長野県西部地震は地震そのものの家屋倒壊による犠牲者は少なく、むしろ地震後の山崩れによる死者が多かった。
 それだけ「地震と山崩れ」の因果関係は強く、現在もなお神戸市街地は危険な状態と言っても過言ではない。

防災対策は?
 このような災害の危険を前に、私たちは何をすればいいのだろうか。
 山沿いに住んでいる人は、
 (1)山肌に突然水が沸いてきた、逆に、既にある湧き水の量の増減が大きくなった
 (2)山の斜面に亀裂が入った
 (3)山鳴り、地響きが聞こえるようになった
 という前兆を察知することによって、避難の目安がわかると言われている。

 しかし、山崩れや水害は山沿いだけでは済まない。1938年の阪神大水害では、阪神・淡路大震災と同様、三宮地区を壊滅状態にしている。
 町中に住んでいる人々は、地震と同様「非常持ち出し袋」の準備と確認。家族がバラバラになることがないよう、万一の避難場所や集合場所を決めておくことは、どの災害でも有効な手段である。

 最悪、山崩れが始まったことに気づいたときは、徒歩、あるいは駆け足で、近隣の頑丈そうなビルの上の階へ避難する。
 ただし地震と違う点は 土石流の流れに対して直角方向に避難することである。つまり、北から南へ土砂が流れる可能性がある場合、事前に、東西方向に逃げられる避難場所を見つけておく必要がある。
 また車での脱出は危険。特に洪水に土石流が合わさると、押し流され、最悪生き埋めになる可能性が高くなる。

 もちろん、この災害は神戸だけの問題ではない。他の地域に住んでいる読者の皆様も参考にしていただければと願う。

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