第10号斜説〜神戸の未来は、まだ神戸っ子の手の中にある!!

1998年11月18日
 約31万人の願いは、たった50人の手によって反古(ほご)にされた。

 震災を経験して市民の行政への参加意識は高まった。政令指定都市初の「住民投票条例直接請求」はその象徴的出来事といっていい。それを神戸市議会は「90年の全会一致決議」「飛行場設置許可」を理由に「神戸空港の是非を問う住民投票」を拒んだ。
 特に「90年決議」は震災前に加えてバブル期の話である。これまでの神戸市の開発行政は震災によって、こっぱみじんに否定され、あの笹山市長でさえ「六甲山の開発をやめる」と言わしめた。
 それなのに「市民の代表」を標榜してきた議員たちは、震災を経験した神戸市民の代表とは思えない態度を98年11月18日に示したのである。

 過去の過ちを訂正することを「進歩」という。
 この出来事は、51人の市会議員の脳味噌が、90年から全くの進歩しなかったことを証明した。
 と同時に、このような致命的な欠陥を抱えた議員を51人(採決不参加の議長も含む)も市会に送り込んだ神戸市民は、私を含めて猛省すべきである。
 しかし、チャンスはまだある。神戸空港の着工は早くても99年夏。
 それまでに、この「欠陥議員」を市民の代表の座から引きずりおろす選挙が99年4月11日にやってくるのだ。

 進歩しない人間に未来を語る資格はない。今度は市長の言う「間接民主主義」にのっとって、神戸空港の設置許可証、埋め立て免許を空港予定地にかなぐり捨てようではないか!!

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