第12号斜説〜「反対する」ということ

1999年3月1日
 新年度から神戸市は「出前トーク」というコードネームを持つ「空港反対派説得プロジェクト」をスタートさせる。
 これは市幹部が空港反対派集会を含めた地域の会合に出席し、空港の必要性を説くというものであるが、空港反対派にとっては、当局を返り討ちに出来る、ある意味では千載一遇のチャンスなのだ。

 神戸の住民投票運動が全国の「運動屋」の注目を集め、一部で「神戸空港」について誤った見識で「空港反対」を訴える人々が現れ始めた。これを「運動」ととるならば「広がりを見せた」となるが、誤った見識で「空港反対」を訴えると、推進派から足下をすくわれ、逆に空港推進派に推進の引導を渡すことになりかねない。
 ここで、もう一度、神戸空港問題に興味をお持ちの皆さんは、自分の得意分野で神戸空港の問題を検証し、反対あるいは推進の態度を表明していただきたい。
 たとえば、経済問題が得意なら、神戸空港の経済的側面を検討し「神戸の復興のためには必要」という結論を見いだしたなら、それでもいいのである。逆に「経済性に乏しいので反対」でもいい。
 「運動屋」と呼ばれる人に「経済性だけで考えるな」と指摘されることがある。あるいは「経済性をクリアすれば空港は必要になのか」とののしる者もいるかも知れないが、そういわれても論破する必要はない。なぜなら、反対派の敵は反対派ではないからだ。
 空港反対の根拠は、いくらでもあるので、個人個人が全ての推進意見を論破する必要はないのだ。

 しかし、空港推進派は、それぞれの人が抱いている空港反対理由のすべてを論破し、解決しなければ、空港を推進することは出来ない。
 理路整然とした反対意見が多数あるのなら、推進派はすべての意見に理路整然とした答を用意しなければならないのだ。したがって、本物の「運動の広がり」は、多くの人が参加し、それぞれの得意分野で反対意見を推進派の前に持ち寄るところにある。
 かといって「反対のための反対」は本当の反対派の足を引っ張りかねないので、生半可な空港反対論は不要である。

 「空港に反対するなら対案を示せ」という者もいるが、空港だけを考えるなら神戸空港反対に対案は不要である。むしろ「利便性から考えると伊丹、関空があるので神戸空港は不要、市民に過分の負担をおわせるかも知れない開発は認められない」という理屈でも十分、対案になりうる。
 あえて神戸空港を補完する交通手段としての対案を示すならば、関空の神戸側の玄関となる「K-CAT」をポートアイランド2期のへんぴな場所ではなく、市街地に隣接するメリケンパークやハーバーランドに設置すれば、神戸の「空」の利便性は高まるはずである。
 しかし、市当局は「震災」にかこつけて、空港は震災復興に必要な都市基盤との大義名分を付け加えたために「震災復興」の観点から対案が必要となってきたが、そもそも本当に空港が当局が試算するほど震災復興に寄与するのかどうかは、当局との論戦から当局の本音を導いた上で検討しても遅くはないだろう。

 神戸市民の皆さんは、市会議員選挙を前に、もう一度、正しい情報を得て「空港問題」を考え直してほしいと願う。

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