▼はじめに▼
一連の酒鬼薔薇聖斗事件では、ほとんどのメディアが事件事実を伝えるという観点ではなく、新しいサスペンスドラマのメイキング番組(新聞、雑誌に至っては、そのドラマの番組宣伝)を作るような感覚で実在の事件を「報道」し続けました。
そして、その「報道」に対し、7月26日現在、報道を総括したメディアは、雑誌「FOCUS」と関西テレビの1誌と1社だけです。
雑誌「FOCUS」の総括は、反省と言うよりも、自分たちのしたことを正当化することに終始していましたが、マスコミとして、事件の一部とはいえ、自分たちの報道姿勢を省みた、その行動は評価しなければなりません。
無数のメディアがある中、1雑誌と1テレビ局が、総括を行ったのに対し、誤報をばらまいた大新聞社を筆頭に、ほとんどのテレビ局、雑誌社は、この事件を忘れることで、事件に対する自らの報道姿勢を隠そうとしています。
特にここで取り上げたいのは、すべてのマスコミが一致団結して犯人探しを行ったことです。
結局、どのメディアも無実の人を「容疑者」に仕立てようとしていました。すでに「風見鶏」でも指摘したとおり、事件が長引けば「松本サリン事件」の轍を踏むところでした。
あのとき、新聞社を中心に「犯人報道」に反比例した小さな小さな社告の形で、犯人に仕立てられた「松本サリン事件」の第1発見者と読者、視聴者に謝罪をしました。
同時に、そのデマ報道に踊らされた私たちも自戒をしたはずです。「マスコミの言うことは信用できないと・・・」
それなのに、あの事件から3年も経たないうちに、同様の過ちをマスコミと「情報の消費者」は犯そうとしていたのです。
酒鬼薔薇聖斗事件について、読者や視聴者に謝罪しろとは言いませんが、マスメディアはこれまでの報道に対する検証と反省を行うことを強く要求します。
▼マスコミ報道を鵜呑みにしていたあなたたちへ▼
容疑者逮捕後、私の手元に東京の方から1通の手紙が届きました。その中に次の一文がありました。
「あの目撃情報は何だったのでしょう。須磨の人たちは、そんなデマを流してまで、テレビに出たかったのでしょうか」
神戸の人間として、実に腹立たしい気分でしたが、おそらく、この人と同じご意見を多くの日本国民の方々が抱いていることでしょう。
ハッキリと言って、須磨の人たちにも落ち度はあります。自分の見識もなく、ただただ新聞やテレビの推理に惑わされていたのですから・・・
また、事件現場周辺住民の名誉のためにお断りしておきますが、テレビに出たがっていた「須磨の人たち」といえば、容疑者逮捕会見直前、須磨警察署前で騒いでいたアホたちです。友が丘地区の人たちではありません。
いずれにせよ、デマに対する批判の矛先が間違っています。
まず、事件発生地域以外の人は事件の発生地域の人を責めるのではなく、そのようなデマ的な情報を無分別に垂れ流したメディアに向けられるべきだと考えます。
「デマ的な目撃証言」は、左図の形態で発生したもので、手紙の主と同じ考えを持っている人は、よく見てください。
そして、あなたの街で同じような事件があり、須磨の人たちと同じようにマスコミの取材を受けたら、きっと、あなたもマスコミの推理に踊らされて「デマ的な目撃証言」を語っていることでしょう。
そうならないためにも、メディアに踊らされたあなた方も、これからは自分自身の見識(フィルター)を持って、マスコミ情報と接していただきたいと願います。
おそらくマスコミは今後も、この事件に対する報道の反省を行わないでしょう。これからも別の事件で同じような報道が行われることでしょう。
だから、私たちは、情報の消費者として「マスコミからもたらされた情報は、まず、疑ってかかる」という認識の元に情報を「消費」されることを、改めて皆さんに呼びかけます。
▼マスコミに「風見鶏」から事件報道の対案を示します▼
さて、批判だけでは、何も進展はしません。批判される側も、批判する側もお互いの主張を戦わせることによって、よりよい物が生まれてくると思います。
そこで「風見鶏」では、この事件で行われたマスコミ報道のいくつかに対して、対案を示します。
(1)識者のコメントについて
はっきりといって不要です。このコメントが全国の人々を惑わせたのです。特に推測や過去の類似事件を参考にした具体的な犯人像の推理は禁止するべきです。
「プロファイリング」は捜査機関だけがすればいいことであって、マスコミが過去の類似事件を参考にして犯人像を描いたところで、何の意味もありません。ましてや、流言飛語の原因となり、結局、捜査を妨害することになったのは既報の通りです。
「マスコミは一生懸命やっている」という意見もありますが、本当に一生懸命「報道」に徹しているのなら、識者を新聞やテレビに出し続ける必要はありません。現状では、字数や時間を埋めるためだけに識者を登場させているとしか思えません。
その識者が「容疑者の少年がフィクションと現実の区別がつかなかったから、このような凶行に及んだ」などと言っているのは、まさに主客転倒です。
報道機関こそ、現実に起こった事件をエンターテイメントとして扱っているような気がします。
(2)犯罪のヒントになるような報道をしない。
遺体を切断するとき、肉の部分を○○で切断したあと、○○で切れなかった骨の部分は△△で切断していたことがわかりました。
これは、ワイドショーではなく、普通のテレビのニュース番組の中で女性アナウンサーが淡々と読み上げていたものです。
情報の消費者として、ここまでリアルな情報は必要なのでしょうか。
マスコミの一部に、今回の事件でホラービデオや暴力的な漫画、ゲームなどを規制しようと言う論調があります。
ホラービデオや、そのような漫画、ゲームが殺人の原因を作っているとしたら、この報道は「死体損壊」の方法そのものを視聴者に伝授していると考えられないでしょうか。
もし、未来の凶悪犯が、この事件のテレビ報道のビデオばかりを収集して、殺人に走り、家宅捜索で、そのビデオが押収されたとしたら、マスコミは、どのように事件の原因を論じるのでしょう。
おそらく、この疑問に答えられる「報道人」はいないでしょう。
したがって、同じ事を伝えたいのであれば「遺体の切断には2種類の刃物が使われました」だけで十分ではないでしょうか。
また、ワイドショーでも「大学医学部教授」という肩書きを持つ人が須磨まで出向き、手に金槌を持って「証拠の残らない人の殴り方」を解説していたのは、極めて悪質です。
具体的なことは省きますが「人間の頭を金槌で殴るとき、金槌を振り下ろす角度によって、毛髪や血痕がハンマーに付きにくい」ということをテレビで放送していました。
いつ、どのワイドショーでどこの大学の何という教授が、このようなことをしていたのか知りたい方は「ワイドショーの中の懲りない面々」をご覧ください。
犯罪を誘発するとすれば、軽犯罪的なものですが「切手に○○や△△を塗って、消印を付かないようにしていた」という報道も、いかがなものでしょうか。
(3)被害者に対する取材について
最後に、この事件を通して今までのマスコミに対する認識を改めざるを得ない出来事がありました。
霊安室を一歩出たとたん、まわりを囲まれあちこちから「今のお気持ちは?」とマイクを向けられました。最愛の娘を亡くしこれ以上の悲しみがない時に、「悲しい、つらい、苦しい」、これ以外にどんな言葉があるでしょうか。
告別式を終え静かに冥福を祈る間もなく、昼夜を問わずマスコミ関係者が押し寄せて来ました。また、ある時は、登校する息子を待ち伏せて取材をしたり、ご近所の方に私どもの勤務先や、その日の行動を聞いたり、深夜にインターホンを押し、こちらが応対しないとドアをたたくという非常識な記者もいました。息子は登校したくても、出来ない時がありました。本当に精神的苦痛を味わいました。
そして、私達だけでなくご近所の方にも迷惑をかけ、本当に申し訳ない思いでいたことなどをわかっていただけますでしょうか。私達は芸能人ではありません。平凡な市民です。しかも被害者です。
静かで穏やかな生活を、だれにも侵す権利はないはずです。「悲しみに追い打ちをかけるようなことはしないでほしい」。ただ、それだけだったのです。
全てのマスコミが非常識だとはいいません。誠意のある人もいましたが、ただ、やみくもに取材するのではなく、もう少し常識ある大人として、節度を持って行動してほしいし、これからも「読者や視聴者の心にひびくような心ある報道を!」と、願ってやみません。
(『神戸新聞』7月24日朝刊一面に掲載)
この文章は、通り魔事件で酒鬼薔薇聖斗の犠牲となった女児の母親によって書かれたものです。(実際の記事には直筆署名も添えられています)
地元新聞とは言え、マスコミの記事を引用しているので、この手記掲載の真意はわかりませんが、被害者に対して、このような取材が行われていたとすれば、やはり、マスコミは現実の事件をエンターテイメントとして取り扱っていたとしか考えられないでしょうか。
よく、マスコミは、このような事件を「劇場犯罪」と形容しますが、その言葉を用いるマスコミ自身が事件を「劇場での出来事」としてとらえているのではないでしょうか。
奈良女子中学生行方不明事件の容疑者逮捕の様子をニュースキャスターが「逮捕劇」という言葉を用いたことを考えても「報道人」は、酒鬼薔薇聖斗事件で何も学習していないことがわかります。
一連の事件報道に接するたび、多くの「報道人」は、それなりの大学を出ているはずなのに、言語能力、判断能力は中学3年生の酒鬼薔薇聖斗と、ほぼ同じレベルではないかと思うことがあります。
本当に、報道する側が、しっかりとした教育を受けているのであれば、酒鬼薔薇聖斗事件報道の検証と反省を行い、読者、視聴者に誤った情報を流した責任を取っていただくためにも、その結果を公表されるよう強く望みます。
そして、あなたが今読んでいる新聞、あるいは、よく観るニュース、ワイドショーで、今後、このような検証が行われなかった場合「このような事件で、マスコミの書くこと、言うことは信用しない」という認識を持っていただきたく思います。
(4)こんな記事は絶対に書かない。(新聞に限らず、すべてのマスメディアに対しても)
神戸市須磨区の小学六年、土師淳君(11)殺害事件は、十八日で事件発生から二十六日目を迎えたが、依然として犯人の動きは途絶えたままだ。
あまりにも短い人生を閉じたあの日、淳君は何を見たのか。今年四月に高知県で起きた女子高生殺害事件で『霊視』によって遺体を発見した祈とう師、和田良海さん(53)がこのほど、淳君との『霊的会話』に成功。本紙にその内容を明かしてくれた。
これまでに何度も行方不明者を発見したとして、口コミで知られていた和田さんの『霊視パワー』が、全国的に有名になったのは、高知県須崎市の高校3年生、池田美紀さん(17)殺害事件だった。
美紀さんは今年四月三日に行方不明になった。心配した親類が同九日、和田さんに『霊視』を頼んだ。その情報通りに捜索し、同市内のスカイライン沿いの山中で同月二十七日に絞殺された遺体を発見。
今月初め、美紀さんの知人の男(32)が殺人、死体遺棄容疑で逮捕された。
「首を絞められていると伝えていたせいで、警察には犯人扱いされました」と和田さん。
『霊視』とは、土地を仕切っている神様を通じて行方不明者や被害者の霊を呼び出して会話することだそうだ。霊から『念』が届くと、部屋に置いたろうそくが揺れるという。
淳君については、現場周辺の様子も知らないため、時々頼むことのある「えべっさん」で有名な西宮神社(西宮市)を通じて呼び寄せたが「彼は波動が弱い。いろいろ聞いていても、意志が弱まったりしてわかりにくかった」という。
身内がいると『念』は強まるそうで、美紀さんのケースでは、祖母や母、友人らも同席していたため『念』がはっきりわかったという。和田さんは「淳君は明確に答えてくれなかったし、幼い言葉だったので、あまり自信があるわけではないが」と前置きした上で、淳君(の霊)との問答の1部を再現してくれた。
−−犯人はどんな人だった?
淳君「おじさんはぶよぶよしているけど、あいつはキン肉マン」(和田さんは人気漫画の『キン肉マン』じゃないかという)
−−何歳ぐらい?
淳君「三十三、四歳」
−−事件の前にも会ったのかい?
淳君「四、五回会った」
さらに淳君は、事件に関して「車に乗った」ことも説明。いろいろ問いかけたところ、色は「黒」か「赤」で「ニッサン車」だったことがわかった。
また和田さんは、淳君との会話を続けるうち、なんと「酒鬼薔薇聖斗」の『念』とも接触したという。
「すぐに『なんでこんなことしたんじゃ』と一喝すると、おびえた様子だった。小心者ですね。なぜ淳君を狙ったのか聞いても反応はなく、だれでもかまわなかったのかと尋ね直すと『良かった』と答えた。体を鍛えているか聞くと『ボクシングが好きだ。血が見られる』と言った」
「酒鬼薔薇」の人相は、鼻筋が通っていて、浅黒く、髪が薄く見えた。また目立つ特徴として「鼻の横にホクロか傷があった」。念をたどって所在も特定できるはずだったが、波動が弱すぎて「兵庫県」としかわからなかったという。
和田さんは「この事件は人間として許せない。一刻も早く犯人を逮捕してほしい。身内の方がいればもっといろいろなことがわかるんですが…。要請があれば、商売抜きで、いつでも力になる用意があります」と話している。
(6月19日付け「大阪新聞」=フジサンケイグループが大阪で発行している夕刊紙。東京駅の東海道新幹線ホームのキヨスクでも買える)
大学教授とか精神医学者の肩書きを持つ人間も所詮、この程度の人間なのだから、すべてのマスコミに「識者」の取材、出演を即刻取りやめるよう要請します。
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